いけばなのはじまり/室町時代
花を愛し、自然にあこがれる心は人間の本能ともいうべき共通の美しい発露です。特に日本民族は自然の美しい環境にめぐまれ、自然を愛する感情は世界のどの民族よりもひとしお深いものがあるといえます。
清浄無垢な花を供えて神仏の御心をなぐさめ、みずからもやすらぐという暖かい気持ちが花を挿すという形式を生み出していったのでしょう。
室町時代にはいり、そのような献供花も部屋の飾りを兼ねるようになり、中期ごろには花の美しさよりも、挿すことに重点がおかれるようになり、自然そのままの美しさより、人工を加えた形の美が賞美されるようになりました。これが華道として確立された第一歩です。今から五百年ほど前のことで、ここに立花(古立華)と称する優れた芸術いけばなが完成しました。
壮大な立華様式/桃山時代から江戸時代初期
桃山時代から江戸時代初期にかけては、主として大伽藍、書院建築にふさわしい大作で豪華なものが僧侶や貴族たちの手によってつくられました。これが立華という様式で、その内容には自然を基調としたすぐれた作風のものがありました。
一般庶民のお生花/江戸時代
江戸時代も進むにしたがって、庶民の間に花に対する関心が深まり、さらに形態の美しさが求められました。そして立華は流行から定型化への道を次第に急ぐことになりました。このように一般庶民も、立華の形式美に心をひかれましたが、壮大で複雑なため、立華はかならずしも庶民的な様式とはいえませんでした。生活環境に持ち込むことができる簡素な形式のいけばなの生まれる素地が次第にできていきます。このようにして、三才形式の古典格花、すなわちお生花(せいか)が始まりました。
自由な表現の自由花/明治から昭和初期(戦前)
明治にはいり長い鎖国時代でもっとも遅れをとった自然科学が急速に学びとられ、自然をありのままの姿に見ようとする動きとともに、これまでの立華や生花美からはなれて、自由な表現を楽しむ傾向が生まれました。洋花が輸入されるようになると、いっそうこれまでの形式的なものはそぐわなくなり、ついに新しい様式のいけばなである盛花と投入花、すなわち自由花が誕生することとなりました。
造形芸術としてのいけばな/戦後から現代
昭和の初期までは、自由花が全盛をきわめ、たくさんの流派が乱立したのですが、第二次世界大戦後は西洋美術の影響で純粋造形としての芸術的意識がいけばな界全体に燃えさかることになりました。これまでの自然主義的な物の見方から人間中心の造形芸術としてのいけばなが大きく台頭してくることになったのです。
このような歴史の流れの中、佳生流は、昭和2年に新しい時代のいけばなを目指すことになったのです。