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佳生流の歴史


佳生流の創始/昌鳳院流時代/昭和初期

 佳生流は、初代家元西村翆雲に始まります。初代家元は大阪真盛流家元、上田正道先生に師事しました。当時の住まいである兵庫県の中央部で、人力車や馬車が何よりの交通機関というところへ、大阪から先生を招いて、いけばなを習ったのが始めで、その後、昭和二年に華道家元昌鳳院流を創始しました。

 初代家元は、絵や写真を好み当時の田舎には珍しい存在で、華道を始めてからは持ち前の器用さを発揮して、竹や木で花器や花台の類をたくさんつくり、彫刻の類も素人とは思えない精巧なものを制作していきます。華道も特に生花の奥義をきわめ、さまざまな花の姿を花図に残しています。


戦後の活動再開

 初代家元が流を創始してから、その大半が田舎での趣味と風流の生活に終始していましたが、その息子の西村雲華(二代目家元)は、戦時中のお花どころではなかった時代の昭和17年に神戸須磨に住居を移し、流の活動再開の機会を待っていました。

 昭和19年兵庫県立第一神戸高等女学校(現兵庫県立神戸高等学校)に就職し、戦後いちはやく、学校で華道部を復活しました。全くの花材のない時代ですから、山や野の雑草の類を採集しながら、何でもいけられることを生徒に教えました。


新日本華道時代/戦後~昭和50年代

 昭和22年、流ではこれからの華道は流派を超えて研究指導にあたるべきという考えがあり、そのような思いから、新日本華道という名前に改称しました。

 戦後低調となっていた兵庫県華道をなんとかしたいという思いから、西村雲華は、第1回~第3回(昭和26年~昭和28年)の兵庫県華道公募審査展の運営委員長を務めます。華道レベルの底上げ、作品の向上、研究心の昂揚、超流派的な思考を求め、今まで誰も手掛けられなかった審査展を実現しました。

 当時、このような超流派的な思考や新日本華道への改称(新しい花、前衛的な花という意味に誤解された)は、伝統のあるいけばな界では思いがけない反発を受けることがしばしばあったそうです。

 しかしながら、超流派的な考えをもとにした時代を先取りした審査展の反響は大きく、兵庫県のいけばなの発展に大きな影響を与えたことはいうまでもありません。

  一方、新しいいけばな造形の確立を果たすことが現代に生きるものの責任であると考え、新しい花型の制定にも取り組みます。時代的な次元の高い芸術として生活に密着したいけばなを目指し、流の特徴となる現代の生活様式にあったうるおいのある花型を創り出します。

  ・昭和24年に新潮花を制定

  ・昭和48年に新生花を制定(立華調の新しい風雅な姿態)

  ・昭和50年に雅風花を制定(新生花を一層単純化した俳画的な俳風的な姿態)

 こうした新しい花型を制定することは、伝統のある他の流派では至難な作業だと思われますが、流派を超えて大極に立って判断し実行に移すことができる地方の小さな流派だったからこそ、流の花型を充実した内容として調えることができました。

 また、このような新しい花型の制定は、古典格花いわゆるお生花があるために生まれ、新しいいけばな造形に対する理論づけができました。古典の本質的なものをじゅうぶんに把握してこそ、現代に生きる姿に置き換えることができるという考えから、流では古典から現代までさまざまな角度からいけばなを学ぶことができるようにしています。

 昭和31年8月初代家元の死去により、西村雲華が二代目家元を継承しました。それ以前より、兵庫県展や近畿圏の諸流派お家元大家と西村雲華の親交は深く、そのままの姿でおつきあいさせていただいたそうです。

 その後、二代目家元の様々な活動に対し評価を頂き、また、いけばなに関わる方々のご推薦もあり、昭和54年に兵庫県文化賞、昭和55年に神戸市文化賞、昭和57年に高松宮妃殿下より特別功労賞(日本いけばな芸術協会)等、多数の賞を頂きました。


兵庫県いけばな協会と日本いけばな芸術協会の発足との関わり

 兵庫県いけばな協会は昭和28年に発足します。

 先に記した審査展の開催など戦後活発な活動をしていた二代目家元は、発足当初から役員として兵庫県いけばな協会を支えます。

 民主的な運営、全員の力でそれぞれの持ち場が生かされるように、組織改革に努め、その甲斐もあり創立七年目ぐらいに軌道にのりはじめたそうです。戦後早くに協会が形となり、兵庫県、神戸市、神戸新聞社と協力しあって活動する兵庫県いけばな協会は全国的なモデル協会になりました。

 二代目家元は、発足から60年あまり、兵庫県いけばな協会の第3代会長(昭和54年就任)、名誉相談役(平成元年~)を、現在は三代目西村公延が名誉相談役、4世西村崇が理事を務めています。

 歴代家元は兵庫県出身、郷土の華道発展のため生涯をかける思いがあり、兵庫県いけばな協会で重役を務めさせていただけることは大変光栄なことです。

 

 財団法人日本いけばな芸術協会は、全日本の諸流華道家の大同団結がなしとげられ、昭和41年12月5日に発足します。二代目家元は発足当初から常任理事(西部地区の総務を担当)として日本いけばな芸術協会を支えます。関西、四国、九州、中国、中部地区と地方の花展開催の企画運営、その間に毎年講演会、研修会、事務局報の発行など、枚挙に暇がないほど忙しい毎日を過ごしましたそうです。

 発足から50年あまり、二代目家元は日本いけばな芸術協会の副理事(昭和58年就任)、代表参与(平成元年~)を、現在は三代目西村公延が評議員を務めています。

 二代目家元は、「華道生活の中で、この日本いけばな芸術協会の幾多の尊い経験がいろんな意味で、最も大きな力となって私を励まし、意義のある華道生活を送ることができたと一面幸せに思っています。」との言葉を残しています。


佳生流時代/昭和50年代~現代

 超流派的な活動を展開してきましたが、その間に新潮花など、流独特の花種を制定した以上、これらの花種を親しみのあるいけばなとして生活に密着したいけばなになってほしいという願いから、昭和58年に佳生流と改称しました。流名の意味は、「人のために土盛をして生きる流」ということで、人のために役立つ流を目指して改名しました。

 二代目家元は、50年誌に以下の言葉を残しています。

「いけばなをいけることによって、花との対話の中から、多くの教訓を悟り、自分の心に深く取り入れなければなりません。これが華道というものでしょうか。流派や技術がいけばなのすべてではなく、より大切なのは「花の心」を知り、自分の心として、社会に役立つ心の美しい人間を創り出すことが流の真実の姿であり、華道たる所以であり、現代社会に逆行しても、これだけは貫かねばならないと思っております。」

 このように佳生流は、流の発展だけではなく日本の伝統文化の華道の真実の姿を追い求め、国内外の活動を行ってきました。この功績により、二代目家元は、昭和53年日赤金色有功賞、平成元年に神戸新聞社平和賞、平成6年に春の叙勲勲五等双光旭日章を頂くことになります。

<国外での交流活動>

 ・日中米国国際親善いけばな展 台北公会堂/昭和43年

 ・神戸市・ソ連リガ市姉妹都市提携文化親善使節/昭和49年

 ・兵庫県・ハバロフスク地方有効交流親善使節/昭和54年

 ・明石いけばな協会訪米使節/昭和56年

 ・パリいけばな親善使節(二代目家元は団長として参加)、花展開催/昭和56年

 ・モナコ国際花のフェスティバル参加、花展開催/昭和61年

 ・兵庫県友好ワシントン県州百年祭親善使節、兵庫フェアー佳生流展/昭和61年

 ・ネパール訪問、花展開催/平成4年

 ・ネパール大使館主催日本文化祭参加/平成5年

 ・第3回カンヌ文化祭/平成6年

 ・ネパール王国いけばな文化使節/平成5年

 ・ゲント庭園国際博覧会(ベルギー)/平成7年

 ・ヌワコット「佳生流トレーニングセンター」起工式(ネパールカトマンズ)/平成9年

 ・日中国交回復25周年佳生流いけばな交流花展(杭州市)/平成9年

 ・ネパール職業訓練所開所式/平成12年

 ・神戸市・テルニ市文化交流展(イタリア)/平成18年

 

  また、二代目家元の息子である西村公延は昭和44年からこの華道の道に入りました。二代目家元のもとで活動を続け、平成12年に兵庫県ともしびの賞、平成14年に兵庫県芸術文化団体半どんの会文化賞、平成25年に神戸市文化賞を頂くことになります。

 平成26年12月二代目家元の死去により、西村公延が三代目家元を継承する予定となっています。